お散歩信心と、活動の暴走族

かれこれ、このブログを書くようになって2年となりました。
その間あげた題目も200万遍。
その間、様々な大難にも遭遇し、勝ち超えてきたと、自負していますが
さて、私の信心、これでいいのだろうか、
振り返り、反省すること多々有り。

そこで、前回に続き、河合師範の指導を、読み返してみました。

唱題ではなく、祈りが大事。
唱題会も良いが、自分と御本尊は1対1だから、きちんと祈れば叶う。
唱題のための唱題では何も叶わない。

100万遍あげておちこんでいる人が婦人部にはよくいます。
信仰とは祈ること。
頑張るための信仰をしてはいけない。婦人部は頑張っています。
立派です。でも全然変わっていない。

変わるためにやるもの。何が変わるのか?
生活が変わり、生命が変わり、環境が変わる。
変わるための信仰。頑張っていれば変わるのではない。
変わるために頑張るべきなんです。
「変わりましょう!」「変わります!」「変わりました!」
これを『信心の三段活用』という。

どういう一念で頑張るか、その一念に功徳がある。
頑張っても結果が出ないのは一念が間違っているから。
行為は正しい。(でも)一念が間違っていれば空回りになったり、
功徳がなかったり、マイナスになることもあり得る。

心こそ大切とよく言われる。
ただ頑張ればよいというのは間違っている。
一念の因果だから。一念を定めて頑張ることです。
生活の方程式は、行き先を決めて、予定を立てて、行動するから、
目的地に到着する。
行き先、予定を立てないで、何となくぐるぐる回って帰ってくるのは散歩。
何となく信心している人は「お散歩信心」。
気分転換程度、やらないよりまし。でも何も変わらない。

大型トラックは夜中に時速120~130キロで高速道路をぶっ飛ばして行く。
土曜日の夜は暴走族も飛ばしているが、これは違う。
大型トラックは行き先、予定があるから飛ばしている。
暴走族は行き先、予定もなく飛ばしているだけ。
信心も同じ。
「頑張ります!」と言って頑張っている人の車を「宿命の暴走族」と言う。
婦人部はほとんど暴走族。
男子部は、勤行をしないで頑張っているが、これを「活動の暴走族」という。
頑張ってもちっとも変わらない。

行き先、予定を決めて突っ走らなければいけない。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと、組織としてのこと。
具体的にいつまでにこうしようと決めること。
その上で、それを御本尊に強く祈って、必要な行動をすれば必ず結果がでる。
決めて祈り、祈って動くこと。

婦人部が祈っているのは成果だけ。
変わろうと思っていない。だから功徳がでない。
功徳がでないから行き詰ってしまう。
変わろうと決めて、祈って動けば結果がでる。信心は簡単です。

「どうしたらいいか」と祈っている人がいるが、全く意味がない。
交番へ行って「どこへ行けばいいのでしょうか?」と聞いているようなもの。
答えがない。
御本尊が決めるのではない。自分が決めて、祈るから、そうなる。
「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。必ずそうなる。
「困った!御本尊!以上終わり!」簡単です。
これを南無と言う。
南無というのは「生命を任せます!」ということ。
「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。

「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
だからそうなる。願い通り。
できないと決めたら御本尊不信。

信仰というのは無理だから祈る。方法がないから祈る。
常識で不可能だから祈る。
方法があれが祈る必要はない。やればいいんです。
道がないから祈る。
それが南無。そう御書に書いてある。
「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を設けんが如く強盛に申すなり」と。
「湿った木を燃やしてみせる、砂漠から水を出してみせる、と強く祈るんだよ」
とおっしゃっている。
「不可能を可能にする信心だよ!」とおっしゃっている。

毎日の祈りは、
自分しかわからない。家族にもわからない。
祈りを、具体的に定めて、
11.18を勝利で飾りたい。

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by shin_f77 | 2013-09-25 17:03 | 日常の出来事 | Comments(2)

Commented by 甚平 at 2013-09-27 05:42 x
おはようございます。
河合師範のご指をは拝読させていただき感謝します。
Commented by shin_f77 at 2013-09-30 21:46
この河合師範の指導は、確か夕焼けさんから紹介いただいた
ものです。全編は下記からどうぞ
http://supersaba.exblog.jp/9938615/