創価学会の壮年部rionが日々の思いを綴ります


by shin_f77
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

法華経の智慧講義_永遠に前へ

毎月総県で行っている法華経の智慧講義、第4巻もいよいよ最終章となりました、
印象に残った箇所を紹介します。

 「臨終只今」とは、師匠の臨終が只今と思って、猛然と広宣流布へ戦っていきなさい
 ということです。師匠に見守って戦えるなんて幸せなことです。
 それがわからない 弟子は失格です。
  師匠が生きているうちに、そう気づいて頑張るのが「本心を失っていないこども
 (※良医病子の譬え)」に当たる。
 気づかないのが「毒気深入」で本心を失った子どもです。

  ともあれ、「仏界の生死」にあっては、死は決して恐れるべきものではない。
  今日寝て、明日の朝、起きる。それと同じです。
  死んだと思ったら、すぐに来世なのです。
  しかも自分が生まれたいところに、生まれたい時に、 生まれたい姿で生まれてくる。
  地球とは限らない。
  「もう地球はあきた」という人は、他の星に行って働くのも自由です。

 「死」は休息です。宇宙生命の癒しの海に抱かれて、疲れた生命を充電するのです。
  そしてまた「生」という生命力の爆発へと向かうのです。

  ただ、「仏界の生死」の場合、生命の基底部が慈悲そのものになっている。
  ゆえに、またすぐに人々を救うために生まれてこようとするのです。

  この「須臾の間に」というのは、いわゆる物理的時間ではなく、
  むしろ生命的時間とも考えられる。
  地獄の苦しみは、短い時間も長く感じさせるように、
 仏界の大歓喜は時間を短く感じさせる。

池田先生は現在86歳。師匠がお元気な間に、あと何回、折伏の戦いができることか。
それを考えれば、「臨終只今」の戦いを起こしていかなければと思うところです。
黄金の3年の1年目、5.3も近づいてきた。

ブログ村に参加しています。ポチっとしてください。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
by shin_f77 | 2014-04-13 14:10 | 日常の出来事