信心はSGIに学べ2
2016年 09月 19日
人間主義と民主主義に基づく宗教組織としての成熟度は、
海外SGIにおいて、わが国の遥か先を歩んでいる。
かつては海外SGIが日本に追いつけと懸命に努力していたものが、
今や私たちが海外メンバーに多くのことを学んでいかなければならない
時代を迎えている。
それは、日本のように会合形式になってしまった「座談会」ではなく、
車座になって自由なディスカッションを可能とする
「zadankai」にほかならない。
(9月17日 Diversity)
創価学会には、”内部コード(内々にしか通用しない言葉や概念)”が多すぎる。
折伏は「折って伏す」であり、新聞啓蒙は相手の蒙(無知なこと)を開くという、人権的にも、人道的にも極めてひっかかりの多い言葉となってしまっている。
折伏も啓蒙も、本来の精神は極めて重要なことだが、
この広く通用することはない、内部コードを使い続けていくか否かについては、検討の余地がある。
(9月3日 Diversity)
そう云われれば、創価学会でも
折伏という言葉を使わずに、
「仏法対話」「友好対話」という言葉を使うことが、
昔に比べれば、多くなったな、と感じる。
でも根本は、折伏精神を忘れては、他宗の布教活動と
変わらなくなってしまう。
まず、折伏すべきは、勇気のない自分
ニューヨークSGI壮年部の方で、
巨大企業のトップを務める方が
「何百人、何千人という人が、私がSGIのメンバーであることを
知っている。
だから、私は毎朝、勤行の中で、今日も勝たせてください、
仏法の正義を証明させてください、と祈っている。」と
STBの中で語っていましたが、
全く同感。
折伏精神を胸に秘めて、
学会の正義を証明していきたい。
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